お元気三猿の意味!現代の情報化社会にふさわしい意味だった?
2016年は申年ですね。
申年なので猿にまつわる記事でも書こうかな~と思っていたら、そんな私の心のうちを見透かしたような年賀状が届きました!
冒頭の画像がその年賀状なのですが、これ埼玉県にある秩父神社の「お元気三猿」さんだそうで、かの有名な日光の三猿とは反対の意味を持つ三猿さんだそうなのです。
おもしろそうだったので今回はこの「お元気三猿」について色々と詳しく調べてみました!
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お元気三猿の意味
お元気三猿の意味にいて、下記項目ごとにみていきましょう。- お元気三猿とは?
- 秩父神社とは?
- 妙見信仰とは?
1.お元気三猿とは?
埼玉県の秩父神社の社殿には上記の「三猿」とは違う「お元気三猿」と呼ばれるユニークな彫刻があります。
意味は「よく見て、よく聞いて、よく話そう」 ということだそうで、日光の「三猿」とはまったくの正反対の意味で、現代の情報化社会にふさわしいとして皆に親しまれています。
またこの秩父神社のご祭神である「妙見菩薩」は人間の元気な命をつかさどる神様として信仰されてきたため、不老長寿にご利益があると言われています。
そのためこの三猿は「お元気三猿」と言われ、みんながいつまでも元気で笑顔の絶えることのない生活が出来るようお守りくださっている、と言われています。
それから面白いのは、この秩父神社の今の社殿は日光東照宮に祀られている徳川家康が建てたという事実。
つまり、日光の「三猿」より以前にこの「お元気三猿」彫られたということになります。
また日光は家康の孫にあたる家光が造営したもの。
となると、日光の「三猿」には家光の思想が、秩父神社の「お元気三猿」には家康の思想が反映されている、ということなのでしょうか??
2.秩父神社とは?
埼玉県の秩父市にある神社で、3世紀から4世紀はじめにかけて実在したとされる崇神天皇(すうじんてんのう)の時代に初代の知知夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)である知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が、祖神の八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったことに始まったとされています。
※知知夫国・・・今の埼玉県秩父地方を中心とした領域のこと。
その後平安時代中期になると「妙見信仰」が導入され、秩父神社は「妙見宮」や「妙見社」として有名になります。
しかし武田信玄の秩父侵攻によって妙見宮が焼き払われるという悲劇に見舞われました。
しばらくは再建が実現しませんでしたが、その後江戸時代に徳川家康によって今ある社殿が再興され「お元気三猿」をはじめとした様々な彫刻が彫られました。
そして明治時代「神仏分離令」によって再び社名が「秩父神社」となりました。
3.妙見信仰とは?
妙見菩薩 を対象とした信仰の一つになります。
「妙見」とは「優れた視力」という意味で、善悪や真理をよく見通す者と言われています。
また菩薩は一般的に如来になろうと修行する者のことですが(人々とともに歩み教えに導く、ということで信仰の対象となってる)この妙見菩薩は由来がインドではなく中国の星宿思想から北極星を神格化したものであり、名前こそ「菩薩」がついていますが、大黒天や毘沙門天と同じ天部(天界に住むものの総称)とされています。
この妙見信仰には中国の星宿思想や密教、陰陽道や道教など様々な要素が混在しており「妙見菩薩」の姿かたちも一定しません。
では、日光の三猿についてもみていきましょう。
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日光の三猿とは?
三猿(さんざる、さんえん)とは、3匹の猿が両手でそれぞれ目、耳、口を隠している意匠である。三猿は世界的にも”Three wise monkeys”として知られ、「見ざる、聞かざる、言わざる」という叡智の3つの秘密を示しているとされる。
引用元:wikipedia
日本には8世紀頃、中国の「論語」に記述されている「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」という一説から、「不見・不聞・不言」の教えが留学僧を通じて広まったとされています。
また猿のモチーフは、その昔中国から庚申信仰(こうしんしんこう)とともに伝わったとされていてます。
庚申信仰とは?
中国の道教から生まれたものです。
その昔、人のお腹の中には「三尸(さんし)の虫」というものがいて、この虫は、庚申の日の夜に人々が寝静まると体から抜けだし、その人の悪事を天帝(てんてい:宇宙を支配する神)に告げにいくと言われていました。
そして、天帝が邪鬼(じゃき:たたりをする神)に命じると罰が与えられるので、皆、三尸の虫が抜け出さないように寝ずにお参りをしたのです。
これが庚申まいりの始まりです。
その昔、人のお腹の中には「三尸(さんし)の虫」というものがいて、この虫は、庚申の日の夜に人々が寝静まると体から抜けだし、その人の悪事を天帝(てんてい:宇宙を支配する神)に告げにいくと言われていました。
そして、天帝が邪鬼(じゃき:たたりをする神)に命じると罰が与えられるので、皆、三尸の虫が抜け出さないように寝ずにお参りをしたのです。
これが庚申まいりの始まりです。
では次に、三猿がある日光東照宮について少し・・・
日光東照宮とは?
日光東照宮は日本を代表する世界遺産の一つです。
亡き徳川家康の遺言「自分が死んだ後に自分を神として祀ること」という遺言によって1617年に今の社殿に改修されました。
その造営費用は現代で計算すると2000億円とも言われ、その当時の徳川幕府がどれだけ力を持っていたかがわかります。
私は日光東照宮には旅行で行ったことがあるのですが、その時初めて「三猿」を見て、豪華で色鮮やかな彫刻に惚れ惚れしたのと、家康のモットー“質実剛健”とは随分かけ離れた煌びやかな社殿にびっくりしたのを覚えています。
こちらの猿も有名です!大分県のサル山にいた伝説のサルについて書いています。
→『高崎山のベンツ!伝説のボスザルと言われる理由のすべて』
三猿を英語でいうと・・・?世界中の三猿も紹介しています^^
→『見ざる言わざる聞かざるを英語で説明!世界の三猿もご紹介』
まとめ
いかがでしたでしょうか?- 「よく見て、よく聞いて、よく話そう」 いとう意味のお元気三猿がある
- お元気三猿は、日光の三猿より前に作られた
- 「不見・不聞・不言」は8世紀頃中国から伝わった
日光の「三猿」の「見ざる、言わざる、聞かざる」も有名で生活の色んな場面でこの意味を実感することがあります。(ママ友同士の付き合いとか会社で仕事してる時とか・・)
でもこの秩父神社の「お元気三猿」のように「よく見て、よく聞いて、よく話そう」というのもすごく大事だな~と改めて思いました。
特に年齢を重ねて子供を持つようになってからは子供の話を良く聞いて、子供をよく見て・・とも思いますし、もっと年をとってからだと、若者の話に耳を傾けよう・・と思わなければいけません。
年をとればとるほど、自分の経験が幅をきかせ視野が狭くなりがちだと思いますので。
今年は申年。この「お元気三猿」にちなんで元気に過ごしたいと思った正月でした^^
ちなみにこの年賀状をくれた人は元上司なのですが、本当に良く喋る人で、でも人の話はあまり聞かない(笑)という人なので、主人と年賀状を見ながらの初笑いでした^^ 今は変わったのかな??笑
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