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相撲は国技?由来や歴史を知って相撲の奥深さを知ろう!

それでは今回も大相撲に関する記事を。


今回は「大相撲の歴史」です。


東京に住む人が中々東京タワーに登らないように、私たち日本人には相撲というものがあまりにも身近にありすぎて、その歴史や伝統や文化など、改めて勉強しよう!という気にならないのでは?と思いました。


というか私がそうで、子供の頃から夕方家に帰ってきて家で大相撲中継を見ている父を横目に「何が楽しいのかな~」と思っていたし、相撲がどんなスポーツでどんな歴史があってなんて知ろうともしませんでした。


学校で相撲について習うわけでもないですし・・


それに相撲について色々調べていくと、相撲って実は国技じゃない・・なーんて情報も耳にしました。


その点も踏まえて今回は相撲の由来や歴史について詳しく書いていきます!


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大相撲ってなに?

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まずはその大相撲の定義について。

1.日本古来の奉納相撲を起源とし、江戸時代から続く職業的な最高位の力士たちによって行われる神事や武道、または興行としての相撲である。加えてその母体となる力士・関係者の集団・社会を指す。
2.日本相撲協会が主催する相撲興行。本項で詳述する。
3.がっぷりと四つに組んだ力士同士の力が拮抗して、なかなか決着がつかない相撲の取組。大相撲実況中継では、おおよそ1分を超える取り組みで用いる。おおよそ4分を超えると「水入り」になる場合がある。

引用元:wikipedia


wikipediaにはこのように書いてありました。


驚いたのは1の項の「神事」という文字。


神事とは神様に関するまつりごとや儀式のことですよね、ということは大相撲はただのスポーツ観戦、とはわけが違う~ということになりますね。


ちなみに“相撲=国技”という認識が一般であり私もそう思っていましたが、日本には正式な国技は存在しておらず(柔道もそう)相撲を正式な国技と認定した記録や法令は存在しないそうです。


ただし、色んな文章(日本相撲協会のHPにも)「日本の国技である相撲」などという言葉が明記されています。


大相撲の由来や歴史

それでは大相撲の由来や歴史を見ていきましょう!

大相撲の起源

相撲の歴史は古く、古事記や日本書記にも「力くらべ」の神話が残っています。


また平安時代には相撲はその年の農作物の収穫を儀式として行われ、後に宮廷の行事として続いていくことになります。


戦国時代

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戦国時代には武士の戦闘の訓練として盛んに相撲が行われ、武将織田信長は深く相撲を愛したといわれています。



またこの時に試合を勝ち抜くことを「関を取る」と言い「関取」の語源になったようです。


そしてその中でも特に強かった人たちのことを「大関」と言い、次に強いものを「関脇」と呼んでいました。


江戸時代

江戸時代に入ると、相撲を職業とする人たちが現れ、全国で勧進相撲(寺社の改築や修繕などの募金を目的とした相撲)が行われるようになりました。


また江戸時代中期には定期的に相撲が興行されるようになったそうです。


その中で“谷風”“小野川”“雷電”と言った強豪力士が出現し、将軍が観戦する上覧相撲も行われ、相撲は一般庶民の娯楽として急速に人気をあげていきました。


その後、大相撲は長い歴史の中で次第にルール化・洗練・様式化され、江戸時代には今と変わらぬ姿、「土俵入り、番付表、化粧廻し、髷、着物、相撲の取組、など」が確立され伝統文化として根付いていきます。

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明治・大正

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明治維新と文明開化に際に「裸体禁止令」が出され力士は処分され相撲の危機を迎えます。


しかし自ら相撲を取っていた明治天皇と伊藤博文らの尽力により1884年には天覧相撲(天皇が観戦する相撲のこと)が実現。


社会的に公認されることにより危機を乗り越えます。


その後東京と大阪に“相撲協会”が出来、組織としての形態が確立。


この頃番付に初めて「横綱」の表記が登場します。


また映像もこの頃から映し出され、初代小錦や大砲の姿(1900年撮影)も現存しています。


そして1907年には力士(常陸山)が国外に相撲を紹介するために初渡米。


1909年には両国国技館が落成し、国技としての相撲が定着していきます。


昭和

昭和に入ると東京都大阪の”相撲協会”が解散し新たに「大日本相撲協会」が発足。


この時期に様々な規定が改正され、ラジオ放送が始まるのに合わせ、仕切り線と仕切り時間の制限が設けられました。


1939年に始まった第二次世界大戦の影響は大相撲にも及び、兵役に就いた力士や捕虜として抑留された力士もいました。


また東京大空襲により国技館と相撲部屋が焼失。


戦後はGHQによる干渉など様々な問題がある中で相撲の復興がスタートしました。


1950年には横綱の相次ぐ成績不振により「横綱審議委員会」が発足。


1958年には年6場所、15日間の体系となり1965年から完全部屋別の総当り制が実施され現在に至っています。


その後TVの普及に伴いNHKでの相撲中継がスタート。


一時は民法も中継していましたがまもなく撤退しました。


そして1965年頃からソ連、中国、メキシコと海外公演が行われ大相撲の国際的な認知が高まります。




現代

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平成には若貴兄弟の活躍により空前の相撲ブームが起き、多くの女性ファンを獲得します。


またこの頃から小錦、曙、武蔵丸と言った外国出身の力士も活躍。小錦は外国人力士初の大関昇進を果たします。


2003年に貴乃花が引退してからはモンゴル出身の力士が活躍し始め、今現在(2015年)まで日本人の横綱は1人として誕生しておらず、また2006年の栃東を最後に日本人力士の幕内最高優勝は達成されていません。


2011年には八百長問題も発覚。


力士志願者も減少し、相撲人気に陰りが見え始めます。


【その他の大相撲情報】
◇「初めての大相撲観戦!九州場所2015の様子と観戦レポ!
◇「相撲の席を種類別に詳しく解説!席別の注意点など!
◇「相撲のスケジュール!1日の流れってどんな感じ?
◇「大相撲観戦のマナーを詳しく解説!初心者でも大丈夫!


まとめ

いかがでしたでしょうか?


大相撲についてなるべく詳しく書いたつもりですが、大相撲の歴史があまりにも奥深すぎて書ききれなかった・・というのが正直なところです^^;


国技として深く認識されている大相撲。


日本書紀の時代から記されている大相撲。


明治天皇もたしなんでいた大相撲。



今現在日本人の横綱が不在なのが残念であり寂しくもありますが逆にこれからどんな人が横綱になるのだろう!貴乃花につぐ日本人の横綱ってどんな人なのだろう?という楽しみもあったりします。


これから先の大相撲に期待しながら観戦を楽しみたいと思います^^

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管理人:よしこ
福岡県出身福岡県在住
子供二人を子育て中の40代(専業主婦)

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